2025年7月19日放送のブラタモリで、北海道函館市にある五稜郭の特集が組まれました。
幕末の動乱期に築かれた星形の要塞の謎から、新選組副長・土方歳三の壮絶な最期、そして戊辰戦争の終結を告げた「音」に至るまで、歴史と地形が織りなす物語が紹介されました。
函館山から五稜郭への“旅のはじまり”
旅の始まりは、函館の街と港を一望できる函館山からです。
この場所から見下ろすことで、五稜郭が持つ地形的な意味と歴史的な背景が明らかになります。
展望台から見える星形の秘密
標高334メートルの函館山展望台からは、五稜郭の象徴である美しい星形をはっきりと確認できます。
平地に広がる要塞の全体像と、周囲を巡る水堀の配置が一目瞭然です。
この眺望は、五稜郭がどのような地形の上に築かれ、どのように防御機能を果たしていたのかを理解するための最初のステップとなります。
かつて軍事的な要衝であったこの高台から、タモリさんは地形を手がかりに歴史の謎を解き明かしていきます。
軍事遺構が残る函館山
函館山は単なる観光地ではなく、かつての戦争の記憶を留める場所でもあります。
展望台周辺には旧砲台跡が点在し、軍の指令を遠くまで伝えるために使われた「伝声管」という珍しい遺構も残っています。
これらの軍事施設は、函館山が戦略的に極めて重要な拠点であったことを物語っています。
番組ではこれらの遺構を巡りながら、なぜこの場所から五稜郭が明瞭に見えるのか、そして五稜郭の星形が持つ軍事的な意味について深く掘り下げます。
地形と歴史が重なる場所
函館山からの景色は、単に美しいだけではありません。
五稜郭がどのような環境に建設され、周囲の地形を利用してどう守りを固めていたのかを視覚的に理解させてくれます。
山頂からの俯瞰的な視点で旅を始めることで、地形と歴史を重ね合わせながら読み解く「ブラタモリ」ならではの面白さが一層深まります。
星形の要塞はなぜ生まれた?
五稜郭の特徴的な星形は、デザイン的な美しさのためではなく、当時の最先端の軍事技術から生まれた合理的な形でした。
その背景には、戦争のスタイルの大きな変化があります。
大砲の登場で変わった城のカタチ
日本の城といえば高い石垣が一般的ですが、火薬と大砲が戦争の主役になると、垂直な壁は格好の的となり、容易に破壊されるようになりました。
特にヨーロッパでは城の防御方法を根本から見直す必要に迫られ、そこで誕生したのが「稜堡式(りょうほうしき)要塞」という新しい城の形式です。
星形で守るしくみ
稜堡式要塞は、星のように突き出た角(稜堡)を持つのが最大の特徴です。
壁に角度をつけることで、敵が放った砲弾の威力を受け流し、被害を最小限に抑えます。
さらに、突き出た稜堡からは、城壁に取り付こうとする敵兵に対して横から攻撃を加えることができ、死角が生まれません。
周囲を囲む堀と合わせて、どの方向からの攻撃にも対応できる、極めて防御力に優れた設計です。
日本での採用と五稜郭の誕生
15世紀のイタリアで生まれた稜堡式要塞はヨーロッパ全土に広がり、幕末の日本にも伝わりました。
開国に伴い、外国の脅威から函館港を防衛する目的で、西洋の軍事理論を取り入れて日本で初めて本格的に建設された稜堡式要塞が五稜郭です。
五稜郭の星形は、時代の変化に対応するための「新しい防衛のかたち」そのものだったのです。
もうひとつの「五稜郭」?幻の四稜郭とは
函館には、有名な五稜郭のほかにもう一つ、歴史の中に埋もれた星形の要塞が存在します。
それは、箱館戦争の最終盤に急造された「四稜郭」です。
五稜郭の影にかくれたもう一つの要塞
四稜郭は、五稜郭から北東へ約3km離れた丘の上に築かれました。
名前の通り四つの角を持つ小規模な稜堡式要塞で、箱館戦争末期、新政府軍の進撃を食い止めるために旧幕府軍がわずか数日で造り上げたとされます。
五稜郭を防衛するための前線基地としての役割を担っていました。
今も残る土塁と空壕の跡
急ごしらえの要塞でありながら、土を盛り上げて造った土塁や、周囲を囲む空壕の跡が現在もはっきりと残っており、当時の緊迫した戦況を今に伝えています。
内部に建物はなく、四隅に砲台が設置されただけの簡素な造りでしたが、防御拠点としての最低限の機能は備えていました。
現在は公園として静かにその姿をとどめ、歴史ファンが訪れる隠れた名所となっています。
タモリさんが見つめる“幻の要塞”
番組ではタモリさんがこの四稜郭も訪れ、その歴史的価値と地形的な意味を探ります。
華やかな五稜郭の影で、旧幕府軍が最後の抵抗を試みた実戦的な遺構から何が読み解かれるのか。
地元でもあまり知られていない「幻の要塞」にスポットライトが当てられます。
土方歳三の最期の地、五稜郭
五稜郭は、新選組副長として名を馳せた土方歳三が、その生涯を閉じた場所としても知られています。
彼の最期は、旧幕府軍の敗北を決定づける出来事でした。
一本木関門で迎えた壮絶な最期
戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争において、旧幕府軍の指揮官として奮闘した土方歳三。
1869年5月11日、新政府軍の総攻撃が開始される中、彼は戦線を立て直すために出撃します。
そして、五稜郭の南側にあった出入り口「一本木関門」付近で、腹部に銃弾を受け戦死しました。
彼の死は旧幕府軍の士気を大きく低下させ、降伏への流れを加速させました。
今も語り継がれる記念碑と像
土方が最期を遂げたとされる場所には、現在「土方歳三最期の地碑」が建てられ、多くのファンが訪れる聖地となっています。
また、五稜郭タワーの展望フロアには、故郷である多摩の方角を向いて立つ土方のブロンズ像が設置されており、彼が守ろうとしたものへの思いを感じさせます。
タモリさんが見つめる英雄の足跡
番組では、英雄・土方歳三の足跡をたどり、その生き様と死に様に迫ります。
一本木関門の跡地で、タモリさんは幕末という時代の転換点に命を燃やした一人の武士の信念に思いを馳せます。
歴史に名を刻んだ男の最後の瞬間に、どのような光が当てられるのか注目です。
戊辰戦争の「終わりの音」を聞く
旅の締めくくりは、長く続いた戦乱の時代の終わりを告げた、象徴的な「音」です。
五稜郭は、その歴史的な瞬間を静かに記憶しています。
戦の終わりを知らせた音とは
1869年6月、旧幕府軍総裁の榎本武揚が降伏し、戊辰戦争は完全に終結します。
その時、五稜郭にはどのような音が響いていたのでしょうか。
鳴り響いていた大砲の音が止んだ後の静寂、降伏を告げる声、あるいは風の音。
そのすべてが、一つの時代の終わりを告げる「幕末の音」です。
静けさが物語る時代の終わり
激しい戦闘が終わった後の、深く重い静寂こそが、戦の終わりを最も雄弁に物語ります。
タモリさんは現地の地形や遺構から、この「何もない音」が持つ意味を感じ取ろうとします。
星形の堀に囲まれた空間に満ちた静けさは、多くの命が失われ、一つの時代が幕を閉じた終着点であったことを示しています。
歴史が止まり、新しい時代が始まる瞬間
五稜郭に訪れた静寂は、単なる戦闘の終了ではありません。
それは江戸時代が終わり、明治という新しい時代が始まる、歴史の転換点を象徴する「音」なのです。
番組では、この音を通じて歴史の節目を体感するような演出で、函館の旅を締めくくります。
まとめ
「ブラタモリ」で紹介された函館・五稜郭の特集についてまとめました。
五稜郭の星形が、大砲の時代に対応した最先端の軍事技術「稜堡式要塞」であったこと、そして函館にはもう一つの「四稜郭」が存在したことなど、驚きの発見がありました。
また、新選組・土方歳三が最期を遂げた地としての歴史的な重みや、戊辰戦争の終結を告げた「静寂という音」の意味を知ることで、五稜郭が持つ物語の深さを改めて感じることができました。
歴史と地形が複雑に絡み合った、非常に見ごたえのある内容でした。
最後まで読んで頂きありがとうございました。