2025年8月1日放送の「首都圏情報ネタドリ!」では、日航ジャンボ機墜落事故から40年の節目を迎え、遺族の方々がどのように記憶を未来へつなごうとしているのかが特集されました。
この未曾有の事故は1985年8月12日に発生し、520名もの尊い命が奪われました。
この記事では、番組で紹介された、悲しみと向き合いながら記憶の継承に取り組む遺族の方々の活動について、詳しくお伝えします。
墜落事故から40年、遺族たちのいま
1985年8月12日、日本航空123便が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落し、乗員乗客520人が犠牲となる大惨事となりました。
生存者はわずか4人です。
事故から40年という長い年月が経過し、ご遺族の多くが高齢化されています。
その一方で、事故を知らない世代が増え続ける中、この悲劇を風化させまいとする様々な試みが続けられているのが現状です。
長年にわたり事故と向き合い、その事実を広く伝える活動を続ける方がいる一方で、心の整理がつかないまま時を過ごしてきた方もいます。
それぞれが歩んできた道には、時間とともに積み重ねられた深い葛藤と、未来へ記憶をつなぐという決意があります。
手記文集『茜雲 そのあと…』に込められた想い
記憶を伝えるための一つの具体的な形として、遺族の方々による手記文集があります。
事故から40年を目前に、32人の遺族が参加した手記文集『茜雲 そのあと…』が出版されました。
これは事故後30年の節目に出版された文集に続く第2弾で、10年ぶりの発行です。
この文集は、単なる記録集ではありません。
遺族にとっては、故人への尽きない想いや自らの体験、心の揺れを綴ることで、読み手に事故の実情を想像してもらい、二度と同じ悲しみを繰り返さないようにと願う「伝える手段」としての重い意味を持っています。
出版費用が遺族の自費で賄われていることからも、記憶の継承に対するその強い意志がうかがえます。
慰霊登山と遠隔参加の広がり
毎年8月12日には、墜落現場である御巣鷹の尾根で慰霊登山が行われますが、そこにも時代の変化に応じた新しい取り組みが生まれています。
近年、遺族の高齢化や体調の問題から、現地まで登ることが困難な方が増えてきました。
そこで導入されたのが、スマートフォンやWi-Fiを活用して遠隔で追悼に参加できる仕組みです。
これにより、自宅や病院など、どこにいても現地と心を一つにして追悼の祈りを捧げることが可能になりました。
2024年の追悼登山では、日本航空の新社長も現地に参加し、安全への誓いを新たにする姿が見られました。
企業と遺族が同じ場で想いを共有し続けることは、事故の教訓を風化させないために極めて大切な機会となっています。
語り部としての活動と次世代への橋渡し
ご自身の言葉で直接体験を伝える活動も、記憶を継承する上で欠かせないものです。
ある遺族の方は、「事故を伝えることは亡き息子からの“宿題”」であると語り、長年にわたり講演活動を続けています。
その言葉は、若い日本航空の職員や学生たちの心に深く響き、過去の出来事を「自分ごと」として捉える貴重なきっかけとなります。
しかし、語り部である遺族自身も高齢化が進み、体力的な限界に直面しているのも事実です。
また、価値観や時代背景が異なる若い世代にどうすれば想いが届くのか、その伝え方に戸惑いを感じることもあります。
文章、絵本、動画、登山、講演など、最善の方法は何かを模索し続けながらも、「伝え続ける」ことを選び続ける姿勢には、深い覚悟がにじみ出ています。
まとめ
日航ジャンボ機墜落事故から40年という節目に、遺族の方々が続ける記憶継承の取り組みについてまとめました。
手記文集の出版、リモート参加も可能になった慰霊登山、そして次世代への語り部活動。
それぞれの形は違いますが、根底にあるのは「悲劇を風化させず、未来へ伝えたい」という切実で強い想いです。
40年という歳月を経てもなお、決して癒えることのない悲しみと向き合いながら、次の世代へと命の尊さを伝えようとする姿は、私たちに多くのことを教えてくれます。
最後まで読んで頂きありがとうございました。